1970年代半ば、自動販売機のみで販売する過激なエロ本が登場するや、瞬く間に人気となり、専門自販機の設置台数は1977年に全国で1万3000台に達した。1979年から2年間、“自販機本”を専門に出版するエルシー企画で制作に関わっていた編集者の神崎夢現氏が話す。
「雑誌の搬入は、人目のつかない夜に猛スピードで行なっていました(笑い)。条例の厳しい地区では、あまり過激でない裏表紙を表にしました。だから、裏表どちらにもタイトルが大きく打たれているんです」(以下、「」内は神崎氏)
最盛期には、自販機2万台、月産450万冊、売上高500億円の市場規模にまで拡大。フル回転の印刷所では、あまりの忙しさに女性器部分の黒塗りが手抜きになるというトラブルも頻発した。
1979年、エロに傾倒する競合誌を尻目に、後に“伝説の自販機本”と呼ばれる『Jam』が誕生する。創刊号ではトップアイドルの家から出たゴミの写真を誌面に掲載して物議を醸した。
「一般女性誌などに糾弾されるほど、今では考えられないことを平気でやっていました。多くの自販機本は男性の『ヌキたい』という欲望に応える誌面作りだったのに対して、『Jam』は立ち位置が違った。読者に媚びない雑誌でした」
一般に、雑誌の売れ行きはライターの個性や取材力などに負うところが大きいものだが、『Jam』を筆頭にした当時の自販機本は、編集力によって「何でもない企画」を「面白い記事」に仕上げた。
「基本的に編集者1人で1冊を作っていました。モデルと新宿の喫茶店に朝9時に待ち合わせしても、2割くらいは来ない。家で寝ているというから家まで起こしに行くこともあった(笑い)。私は2年間しか関わっていませんが、編集者として大切なことは、すべて自販機本から教わりました」