Quantcast
Channel: 特集の記事一覧|NEWSポストセブン
Viewing all articles
Browse latest Browse all 486

伝説の海外セクシー女優の歴史 チチョリーナ、T・ローズ他

$
0
0

 AVもヘアヌードも存在しなかった時代、日本男児にとって海外グラマー女優を拝める“洋ピン映画”こそ生きる活力だった。

「1960年代は、“医学映画”として博士が男女の肉体について解説する西ドイツの映画『女体の神秘』や、イタリアのドキュメンタリー映画『世界猟奇地帯』のストリップシーンを見るために、劇場に男たちが群がりました。映画でおおっぴらに性を謳える時代ではなかった」(映画評論家・秋本鉄次氏)

 世界で性革命が叫ばれていた1968年、アメリカでは性描写を禁じていた「ヘイズ・コード」が廃止になり、1972年6月にリンダ・ラヴレース主演で喉に性感帯のある女性を描く『ディープ・スロート』、8月に白人と黒人の性行為を扱った『グリーンドア』が公開された。同作は、石鹸のパッケージモデルを務めていた清純派女優のマリリン・チェンバースが主演し、衝撃を与えた。

 同じ頃、日本ではカラーテレビの受信契約数が1000万件を超える一方、映画入場者数は最盛期の6分の1にまで減少。ポルノ路線に舵を切っていた東映は、サンドラ・ジュリアンやシャロン・ケリーらを海外から招聘した。本場のポルノ女優たちの艶技は日本の女優にも大きな影響を与えた。

 例えば、『現代ポルノ伝 先天性淫婦』(1971年)撮影の際、サンドラが「アンダーヘアだって人間の体の一部なのよ」と“前貼り”を拒むと、池玲子や三原葉子もそれに倣うようになったという。

「シャロンは1970年公開の『シャロン・ケリー/ポルノ探偵局』のように、名前がタイトルに入るほどの人気者に。クリスチーナ・リンドバーグは“スポーツのように性行為をする”と言われていたスウェーデン出身ですから、頭がパンクするくらい妄想を膨らませてくれる存在でした」(同前)


Viewing all articles
Browse latest Browse all 486

Trending Articles