![](http://www.news-postseven.com/wp-content/uploads/2019/07/photofest_AFLO_monroe_eyc.jpg)
マリリン・モンローとジェーン・マンスフィールド(写真/AFLO)
ハリウッドの20世紀フォックスが“ブロンド・ボンブシェル(金髪爆弾)”と名付けたセクシークイーンの威力は絶大だった──26~30歳の日本人女性の平均身長が150.2センチ、バストは81センチという時代の1953年、映画『ナイアガラ』に日本男児は震え上がる。ブロンドヘアを靡かせ身長166センチ、バスト94センチの女体が腰をくねらせ闊歩した。マリリン・モンローの伝説がはじまった瞬間である。巨乳専門誌『バチェラー』の白石弘編集局長が語る。
「モンローが日本人に与えた衝撃は大きく、金髪は毛色を示すだけでなくグラマーと同義になった。手の届かないセックスシンボル、舶来の“まれびと”という意味も込められていた」
追随するかのように、ジェーン・マンスフィールドなど“ブロンドグラマー”が次々と登場、セックスシンボルの称号を得ていった。1970年代に入ると、日本映画界も金髪女優に力を借りるようになる。ポルノ路線に舵を切った東映は、サンドラ・ジュリアン主演の『徳川セックス禁止令 色情大名』、シャロン・ケリー主演の『色情トルコ日記』などで大ヒットを記録した。
「『バチェラー』は1977年の創刊から3号までは返品率が8割を超えて廃刊の危機にありましたが、4号で金髪を含めた外国人のヌードを掲載すると爆発的に売れました」(白石氏)
1970年代から1980年代にかけて、日本ではアイドルブームが巻き起こり、山口百恵や松田聖子など黒髪少女が人気を得ていく。社会学者の太田省一氏が話す。