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平安時代の歌人・和泉式部 紫式部が眉をひそめる好色だった

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日本初の○○を詠んだ和歌とは?

 人類の歴史は、「性」を抜きにして語ることができない。たった一人の女性の妖艶な魅力に君主が惑わされ、国が傾いた……そんなエピソードも世界中にいくつも存在する。クレオパトラやマリー・アントワネットは有名なところだが、性的な魅力で歴史を大きく動かした女性は、日本にも存在する。

 平安時代初期、“熟女パワー”で政権を大きく揺るがせたのが、藤原薬子である。3人の男子と2人の女子を産んだ後、長女が皇太子である安殿親王(後の平城天皇)の妃になる際に、幼い娘の介添役として東宮に入る。歴史研究家の永井義男氏がいう。

「藤原家は、藤原(中臣)鎌足の孫4人が興した四家に分けられますが、当時はそのうちの2つである式家と北家が激しい勢力争いをしていました。式家の薬子はライバルである北家の頭領・葛野麻呂に接近し、セックスで彼を虜にして娘の東宮入りを仕組ませたのです。

 さらに東宮入りした後は、娘から安殿親王を寝取ってしまった。それが桓武天皇の逆鱗に触れ、薬子は東宮から追放されてしまいますが、安殿親王が天皇に即位すると、すぐに薬子を呼び戻しました。その時、薬子はすでに40代でしたが、どれだけ惚れ込んでいたことか」(永井氏)

 薬子の力で藤原式家は権勢を極めたが、平城天皇は病のため4年で譲位し、北家とのつながりが深い嵯峨天皇が即位する。薬子は平城上皇の病状が回復すると、勢力挽回のために上皇の復位を企て、挙兵を試みるも失敗。毒を飲んで自殺する。これが「薬子の変」(810年)で、その後、藤原北家が全盛期を迎えるのである。


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